イムラアートギャラリー [京都/東京]

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イムラアートギャラリー東京は、神楽坂より移転し、2013年5月11日(土) 3331 Arts Chiyoda #206にオープンいたします。

新たな場所でのギャラリー再開にあたり、現代のヴィジュアルアートを扱うギャラリーとして、人の知覚を巧に操る土屋貴哉(美術家)とアタカケンタロウ(建築家)に、ギャラリーの新スペースを委ねてみたいと思いました。
土屋貴哉とアタカケンタロウよるコラボレーション展「昨日はどこへいった。」は、ギャラリースペースの改装からオープンまでの過程と時間を扱った、映像・建築・オブジェ・ペイントなどの様々なメディアと手法が交錯するインスタレーションプロジェクトです。

撮り集めた「昨日」の集積が、映像としてスペースの壁面に投影され、現存するオブジェ・ペイント・建築と重なって関わりを持ちはじめるとき、私たちの目には昨日と今日が不思議に重なり合い、時系列はねじれ、世界のもう一つの相を感じることができるでしょう。
「昨日はどこへいった。」 人の不確かで柔軟な知覚と記憶を介した途端、確定されたはずの「昨日」を探すのは、容易ではないかもしれません。
ぜひご高覧いただきますようお願い申し上げます。

■協力:端裕人氏(写真家)、秋廣誠氏
■協賛:ターナー色彩



土屋貴哉
美術家。1974年東京都生まれ。2001年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。90年代後期より、日常のものごとへの最小限の介入をほどこした作品を制作。それらは、映像・写真・平面・立体・インスタレーションなど、多メディアに渡り展開される。近年は新たな試みとしてPC上で展開するプログラム作品シリーズもスタート。

アタカケンタロウ/安宅研太郎
建築家。1974年埼玉県生れ、2001年東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻修士課程修了。2003年にアタカケンタロウ建築計画事務所を設立し、住宅から集合住宅、研修施設、幼稚園、パブリックアートなど様々なプロジェクトを手掛ける。2007年東京建築士会住宅建築賞、2011年日本建築学会作品選奨など受賞多数。現在、東京芸術大学、芝浦工業大学、京都造形芸術大学など6つの大学で非常勤講師を勤めるほか、岩手県遠野市で馬の育成とその堆肥による有機農業を中心とした地域づくりに取り組んでいる。

「ニッポン画」とは

一、今現在の日本の状況を端的に表現する絵画ナリ
一、ニッポン独自の「笑い」で諧謔を持った絵画ナリ
一、ニッポンに昔から伝わる絵画技法によって描く絵画ナリ

これは作家が自ら「ニッポン画」と呼ぶ絵画の定義です。伝統的日本絵画の技法で描かれる山本太郎のニッポン画には古典と現代のモチ ーフが混在しています。それは日本固有の文化と輸入文化が共存する混沌とした現代日本の視点から日本絵画を再構築するものです。しか し古典絵画のパロディーのようにも見える彼の作品からは、日本画に対するアンチテーゼや今の日本の現状への攻撃的な反省は感じられま せん。現代日本人の生活風景をユーモアあふれる目線で描きだし、意表を突くモチーフの組み合わせで構成されるニッポン画には、異質な ものを違和感なく生活に取り込んでしまう日本人の感覚に対する愛着が込められているかのようです。

ここ数年山本太郎が題材としているのは日本の古典文学。とりわけその中でも謡曲を題材とした作品はこれまでも多く作られてきました。 しかし、謡曲は「文学」といいながら演劇の台本でもあるため、文章だけで完結しているものではなく能舞台で演じられることで初めて完成す る物語です。

そこで、今回の展覧会のテーマは「能楽」。「能舞台のもつ清涼感、緊張感、そして圧迫感や解放感。そういった雰囲気そのものを絵画化し て固定できないか、難しいとはわかっていてもそうした挑戦をしてみたくなったのです。」という作家の試みにより実現する展覧会となります。 張りつめた緊張感漂う作品にはもちろん山本太郎ならではの遊び心も絶妙に組み込まれています。

鑑賞者の心を引き込む日本芸能独特のリズム感「序破急」を帯びる山本太郎の個展を是非ご高覧ください。

※個展開催時期に新宿「柿傳ギャラリー」で行われる「宮川真一展」にて掛軸、山本太郎デザインの宮川真一とのコラボレーションお茶碗が出品されます。5月21日から28日まで。26日土曜日に立礼によるお茶会があります。山本太郎もお手伝いで参加予定。

この度、イムラアートギャラリー東京では、2012年3月24日(土)より、中山徳幸個展を開催いたします。
中山徳幸(1968年長野県生まれ)は、1993年に武蔵野美術大学芸術学部油絵科を卒業、2003年にはシェル美術賞に入選、2006年には「VOCA展2006」に出品しています。また、海外でも積極的に作品を発表しており、2008年にノルウェー・ベルゲンで開催された個展は、当地でも高い評価を獲得しています。

中山は一貫して女性の顔、姿を描いており、特に2001年頃からは、顔を大きくクローズアップした作品を発表し続けています。
特定のモデルを設けることなく、作家自身の日々の記憶や経験から形成され、描かれるそれら女性たちの表情は、見る者の内面を投影するがごとく、さまざまな印象を作品の前に立つ者に与えます。

イムラアートギャラリーでは、2007年のイムラアートギャラリー京都での個展「Noriyuki Nakayama 1999-2002」より5年ぶり、東京では初めての開催となる本展。100号の大作「tomorrow」(2012年)を中心に、2009年以降に制作された作品約10点を展覧予定です。作家自身が「人間を描くことの意味を考える時期に来ている」と語るとおり、制作、そして作家としての原初を問うこととなる本展をぜひご高覧賜りたくご案内申し上げます。



今回出品している作品は、原点に戻り、もう一度自分を取り戻すということが、主な制作の動機になっているように思います。
アクリル絵の具を用い、古典技法を応用しながら、人物を描く。
画面上の情報量を出来るだけ抑え、日々出会う人々の表情の記憶を頼りに、形に納まりきらない何かを色や形に置き換える。
僕の作品の制作過程を言葉にすると、このようになります。
人間の顔という、人の心の在り方が大きなテーマとなってしまうモチーフを描いている以上、技術的な鍛錬が必要なのはもちろんですが、より深く自らの心を見つめ、自分自身の心のありようを問い続けることが、制作するうえで、とても重要な作業になります。
ここ何年かで、僕の作品も少しずつ変化してきました。
公私ともに様々な出来事があり、自分を見失いかけていた時もありましたが、今はもう一度、人間を描くことの意味を考える時期に来ているように思います。
それは難しい作業ですし、簡単に答えを出すことはできませんが、普遍的で、非常に価値のある試みの様にも思います。
自分なりのやり方しか出来ませんが、これからも、顔を描き続けることによって、人間の真実を求め、心の複雑さや素晴らしさを、表現していけたらと思います。

中山徳幸 

この度、イムラアートギャラリー東京では、2月10日(金)より、渡邊佳織個展「朝のグッドニュース」を開催いたします。

渡邊佳織(1984年静岡生)は、京都嵯峨芸術大学の修士課程(芸術研究科)を修了、髙島屋3会場を巡回した「ZIPANGU展-31人の気鋭作家が切り拓く現代日本のアートシーン。」に出品、映画の劇画協力も行うなど、日本画の枠におさまらず、あらゆる分野で注目を浴びている期待の若手日本画家です。

彼女は制作において「儀式を執り行う場所で感じられるような"緊張感"を生み出す作品を作ること」を意識しており、それを表現するモチーフとして「子供」を選びます。
大学での模写で培われた確かな日本画の技術によって描き出される、子供の透き通るような肌の美しさや、あどけなさと成熟さを感じさせる表情は子供特有の「神聖さ」をそのまま写し出します。

今回の個展では、ZIPANGU展にも出展した作品「輝々麒麟」を中心に展覧会全体を通じて「子供の旅」を描きます。決して明るいとは言い難い世界へ子供達がこれから旅を始めようとする様子は、どこか "不安感" を与えます。

3年振りの個展となる本展では、過去作から最新作品までを展覧いたします。展覧会タイトルは「朝のグッドニュース」。
「good news」は「福音」という意味も含み、不安とともにはじまりや希望も感じさせる展覧会名となりました。
ぜひご来廊、ご高覧賜りたくご案内申し上げます。

この度、イムラアートギャラリー東京では、佐藤雅晴個展、11月26日(土)より、映像作品展「取手エレジー」2012年1月7日(土)より、平面作品展「ココちゃん」を開催いたします。

佐藤雅晴(1973 年 大分県生まれ)は、1996 年東京芸術大学美術学部油画学科を卒業後、1999 年同大学大学院修士課程を修了。2000 年に拠点をドイツに移し活動後、2010年より茨城県取手市で制作しています。

2009年には岡本太郎現代芸術賞にて特別賞を受賞、「 No Mans Land」(フランス大使館旧事務所棟、東京)に出品など高く評価されています。また、国内にとどまらず、「D調」(関渡美術館、台北)、「City_net Asia 009」(ソウル市立美術館)などの国際展にも出品し、国際的活躍も期待されています。

佐藤が用いる平面作品の制作方法は極めて独自のものです。まず写真を撮影し、その写真データをパソコンに取り込みます。取り込んだ写真データをパソコン上で、トレースし、油絵と同じように下地を塗り、絵具を重ねるようにペンタブレットで描くのです。最終、写真データのみ消去され、佐藤がペンタブレットで描いたものだけが残ります。そうして生み出された作品には、写真でもなく絵画でもない、独特の空気をまとっています。

一方、佐藤の映像作品は、そうして作り出された複数の平面(静止画像)を重ねることで作られています。「取手エレジー」では、映像作品5点を展示いたします。「ココちゃん」は、近所に住んでいる2才の女の子をモデルに描いた平面作品の展覧会になります。

デジタルをアナログに駆使した佐藤の新作をぜひご高覧ください。

 



「エレジーとして蘇るもの――夢、狂気、気配」

佐藤雅晴は、アナログな手法で制作されたデジタルアニメーション、デジタル絵画などを通じて、都市あるいは都市の周辺部としての郊外や田舎における少し捩れた不思議な日常風景を描き出すことで、現代社会の背後にある問題を提起する。故にそれらの作品には、主題は佐藤の居住地に限定されながらも、地球上のどんな都市部とその周辺部にも当てはまり、何処で起きても不思議ではない現代性が現れる。

例えば初期のアニメーション代表作《Traum》(2004-2007)や、2008年頃から制作しているデジタル絵画では、自らの夢などに取材した不思議でオカルト的都市体験が描かれており、現実世界と夢世界の間を互いにスライドさせることで、ふたつの世界に潜む「気配」が表面化されているように見える。<br />《Calling》(2009-2010)では、都市の様々な場所で誰も居ないが故に鳴り続ける携帯や固定電話が電話を掛ける側と受ける側とのネットワークを暗示し、非常に現代的な都市の気配――ネットワークシステムとしての都市や遠隔コミュニケーションの発達によるユビキタスな存在態――を出現させる。また《Avatar11》(2009)では、11人の等身大のポートレートが様々なシーンを背景に観者側に振り返り続けることで、ネット上の背景もしくは情報によってのみキャラクターが規定されるようなヴァーチャルなアイデンティティの問題が提起される。

本展「取手エレジー」出展作《バインド・ドライブ》(2010-2011)では、「絆」という夫婦演歌を背景に雨の降り続く郊外――佐藤の居住地である茨城県取手市周辺の様々な無人の風景がある種クールで淡々とした視点で切り取られていく。最後には田んぼの真ん中に駐車された車内で天使(女)と悪魔(男)がカーステレオから流れる「絆」を口パクで歌い上げ、「捨てないでね」「捨てるもんか」と絆を確かめ合う。現在の日本では放射能と切り離して考えることができなくなった雨の下、この不可能な絆、不条理な関係がどこへ進むのかと我々は考えさせられる。
また新作映像では、取手の風景を元に、どこにでもありそうな郊外の風景にある種の物語を纏わせること、すなわち風景を情景に転化することを試みている。そこには、《バインド・ドライブ》の不条理な現実にも通じ、佐藤が3.11の震災以降に感じた心象風景が重ねられているのであろう。《エレジーシリーズ:桜》では、郊外の住宅地で桜吹雪が散る中、ブルーのジャージを着た女の人が交通ミラーに向かって手を振る。何かが不可解で不安になるのは、もしかしたら我々の心理がそうさせているのかもしれない。このように、佐藤の作品は情景として機能しながらも、観る私たちの想像力へと続きを委ね開かれている。それは必ずループになった映像が、絵画と同じようにどの瞬間から見ても成立し、観客が自由に鑑賞・構想できることを目指すことにも寄るのだろう。

佐藤の作品に共通して見られるある種の不可解さや違和感、あるいは摩擦のような要素は「完全な日常というイメージ」にかすかに入ったひび割れのように機能することで、観者である私たちが現実だと信じている「生の現実」にも照射されていく。この不可解さや不安感はおそらく、現代文明や管理された近代システム下で抑圧され居場所を失った「夢」、「狂気」、「気配」が表現として亡霊のように戻って来たことに依るのだろう。このように佐藤は、今後も世界中で続いて行く都市化という現象を内部から経験しつつ、ある種のエレジーとして表現することで、我々に「夢」、「狂気」、「気配」といった失われたものについて再考する機会を与えてくれるのだ。

椿 玲子/森美術館アシスタント・キュレーター
京都大学大学院、人間・環境学研究科、創造行為論修士、パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)哲学科、現代美術批評修士、カルティエ現代美術財団インターンなどを経て2002年より現職。
森美術館では「MAMプロジェクト007:サスキア・オルドウォーバース」、「MAMプロジェクト011:ジュール・ド・バランクール」などを企画。

この度、イムラアートギャラリー東京では、佐藤雅晴個展、11月26日(土)より、映像作品展「取手エレジー」2012年1月7日(土)より、平面作品展「ココちゃん」を開催いたします。

佐藤雅晴(1973 年 大分県生まれ)は、1996 年東京芸術大学美術学部油画学科を卒業後、1999 年同大学大学院修士課程を修了。2000 年に拠点をドイツに移し活動後、2010年より茨城県取手市で制作しています。
2009年には岡本太郎現代芸術賞にて特別賞を受賞、「 No Mans Land」(フランス大使館旧事務所棟、東京)に出品など高く評価されています。また、国内にとどまらず、「D調」(関渡美術館、台北)、「City_net Asia 009」(ソウル市立美術館)などの国際展にも出品し、国際的活躍も期待されています。

佐藤が用いる平面作品の制作方法は極めて独自のものです。まず写真を撮影し、その写真データをパソコンに取り込みます。取り込んだ写真データをパソコン上で、トレースし、油絵と同じように下地を塗り、絵具を重ねるようにペンタブレットで描くのです。最終、写真データのみ消去され、佐藤がペンタブレットで描いたものだけが残ります。そうして生み出された作品には、写真でもなく絵画でもない、独特の空気をまとっています。
一方、佐藤の映像作品は、そうして作り出された複数の平面(静止画像)を重ねることで作られています。「取手エレジー」では、映像作品5点を展示いたします。「ココちゃん」は、近所に住んでいる2才の女の子をモデルに描いた平面作品の展覧会になります。

デジタルをアナログに駆使した佐藤の新作をぜひご高覧ください。



「エレジーとして蘇るもの――夢、狂気、気配」

佐藤雅晴は、アナログな手法で制作されたデジタルアニメーション、デジタル絵画などを通じて、都市あるいは都市の周辺部としての郊外や田舎における少し捩れた不思議な日常風景を描き出すことで、現代社会の背後にある問題を提起する。故にそれらの作品には、主題は佐藤の居住地に限定されながらも、地球上のどんな都市部とその周辺部にも当てはまり、何処で起きても不思議ではない現代性が現れる。

例えば初期のアニメーション代表作《Traum》(2004-2007)や、2008年頃から制作しているデジタル絵画では、自らの夢などに取材した不思議でオカルト的都市体験が描かれており、現実世界と夢世界の間を互いにスライドさせることで、ふたつの世界に潜む「気配」が表面化されているように見える。<br />《Calling》(2009-2010)では、都市の様々な場所で誰も居ないが故に鳴り続ける携帯や固定電話が電話を掛ける側と受ける側とのネットワークを暗示し、非常に現代的な都市の気配――ネットワークシステムとしての都市や遠隔コミュニケーションの発達によるユビキタスな存在態――を出現させる。また《Avatar11》(2009)では、11人の等身大のポートレートが様々なシーンを背景に観者側に振り返り続けることで、ネット上の背景もしくは情報によってのみキャラクターが規定されるようなヴァーチャルなアイデンティティの問題が提起される。

本展「取手エレジー」出展作《バインド・ドライブ》(2010-2011)では、「絆」という夫婦演歌を背景に雨の降り続く郊外――佐藤の居住地である茨城県取手市周辺の様々な無人の風景がある種クールで淡々とした視点で切り取られていく。最後には田んぼの真ん中に駐車された車内で天使(女)と悪魔(男)がカーステレオから流れる「絆」を口パクで歌い上げ、「捨てないでね」「捨てるもんか」と絆を確かめ合う。現在の日本では放射能と切り離して考えることができなくなった雨の下、この不可能な絆、不条理な関係がどこへ進むのかと我々は考えさせられる。 また新作映像では、取手の風景を元に、どこにでもありそうな郊外の風景にある種の物語を纏わせること、すなわち風景を情景に転化することを試みている。そこには、《バインド・ドライブ》の不条理な現実にも通じ、佐藤が3.11の震災以降に感じた心象風景が重ねられているのであろう。《エレジーシリーズ:桜》では、郊外の住宅地で桜吹雪が散る中、ブルーのジャージを着た女の人が交通ミラーに向かって手を振る。何かが不可解で不安になるのは、もしかしたら我々の心理がそうさせているのかもしれない。このように、佐藤の作品は情景として機能しながらも、観る私たちの想像力へと続きを委ね開かれている。それは必ずループになった映像が、絵画と同じようにどの瞬間から見ても成立し、観客が自由に鑑賞・構想できることを目指すことにも寄るのだろう。

佐藤の作品に共通して見られるある種の不可解さや違和感、あるいは摩擦のような要素は「完全な日常というイメージ」にかすかに入ったひび割れのように機能することで、観者である私たちが現実だと信じている「生の現実」にも照射されていく。この不可解さや不安感はおそらく、現代文明や管理された近代システム下で抑圧され居場所を失った「夢」、「狂気」、「気配」が表現として亡霊のように戻って来たことに依るのだろう。このように佐藤は、今後も世界中で続いて行く都市化という現象を内部から経験しつつ、ある種のエレジーとして表現することで、我々に「夢」、「狂気」、「気配」といった失われたものについて再考する機会を与えてくれるのだ。

椿 玲子 森美術館アシスタント・キュレーター
京都大学大学院、人間・環境学研究科、創造行為論修士、パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)哲学科、現代美術批評修士、カルティエ現代美術財団インターンなどを経て2002年より現職。 森美術館では「MAMプロジェクト007:サスキア・オルドウォーバース」、「MAMプロジェクト011:ジュール・ド・バランクール」などを企画。

この度、イムラアートギャラリー東京では、10月29日(土)より、山﨑史生個展を開催いたします。

山﨑史生(1974年兵庫県生)は、多摩美術大学美術学部彫刻学科で学び、以来一貫して木彫を制作し続けています。
密やかで静かな雰囲気を湛えた作品に、近年はかつてないほどの存在感が加わりました。
年に数体しか作ることができないこともあって、これまで数えるほどしか展覧会に出品していませんが、今年は「ジパング展」にも出品し注目を集めました。

3年振りの個展となる本展では、2006年より取り組んでいる「静かな隣人」シリーズと、 2007年から制作している「horn」の最新作品群を展覧いたします。ぜひご来廊、ご高覧賜りたくご案内申し上げます。

この度、イムラアートギャラリー東京では、9月17日(土)より、土屋貴哉個展「バランスパラメータ」を開催いたします

土屋貴哉(1974年東京生)は、東京芸術大学絵画科(油画専攻)在学中より、「絵を描く前に考えることがあるのではないか」との問いからスタートし、映像、写真、平面、立体、インスタレーション、デジタルなど様々な媒体を駆使して作品を展開してきました。既製品(すでに在るもの)に極力手を加えず、かつ高い完成度で生み出される土屋の作品は、既成の約束ごとを破り、心地よい違和感を提示します。

イムラアートギャラリーでは初個展となる本展では、過去作から最新作品まで、多媒体による土屋の作品世界を展覧いたします。ぜひご来廊、ご高覧賜りたくご案内申し上げます。

また、9月17日(土)18時より、楠見清氏(首都大学東京准教授)をお招きし、作家と語り合いながら、土屋作品の魅力についてお話いただきます。こちらにも足をお運び頂けましたら幸いに存じます。

 


 

人はいつも自分の見たいように世界を見てしまう、といわれます。けれどこれは、こう見たいとさえ思えば世界はそう見えてくる、という積極的な可能性のあらわれともいえます。私の興味は、まさにこういった人の知覚の柔軟な性質にあり、また、この知覚をとおして立ち現れる世界のあり方にあります。

そして私がおこなっていることとは、この知覚と世界との関係性をさぐる行為のくりかえしといえます。それは、真実とは何かといったこととは違い、この目の前に広がる世界の見え方をいかに更新しえるか?という問いに対する素朴な実践ともいえます。

ドンペリ、巻尺、植木の剪定、消しゴム、ボーリング、オセロ、海水浴、サッカーグランド....、これらは今回の作品群に用いられる素材たちです。そこには一見まるで共通項をみつけることはできないかもしれません。ですが、それらは私の知覚を通して切り取られた世界の断片であり、それらおのおのの仕組みに向けられた私の知覚方法の共通項が、それらに因果関係を生み、この世界を支えている絶妙なバランス運動の隠れたパラメータにアクセスするためのまなざしとして機能するのではないかと思っています。

このような一連の態度から作られる私の作品たちは、必ずしも特別な方法により作られる訳ではないので、ときに不毛に映るかもしれません。けれど、手荷物は軽いほうがより深くダイレクトにこの世界を眺められるようにわたしには思えるのです。

土屋貴哉



計り知れない宇宙を測りきる
楠見清(美術評論家/首都大学東京准教授

土屋貴哉の作品は身のまわりにある日用品を選び出したり、日常の風景や行為の断片を切り取ったりすることでつくられている。見出したオブジェに極力手を加えることなく詩を思わせる題名を付ける手法は、マルセル・デュシャンのレディメイドの継承であることはいうまでもなかろうが、デュシャンがスツールに自転車の車輪を載せてからもうじき100年目を迎えようとしているいま私たちの前には台秤の上に載せられたドンペリが、さらにそのコルク栓と天井の間には突っ張り棒がある。ブレーメンの音楽隊の動物たちのような奇妙な姿で立ち上がった既製品たちには《ニュー・バランス》というタイトルが付けられている。これもまた20世紀初頭のボストンで「新たなる均整」を合言葉に扁平足矯正靴製造からスタートしたアスレチック・シューズ・メーカーの社名そのままの引用に思わずほくそ笑む。さらに、台秤のデジタル表示を覗き込みながら垂直のテンションで封じ込まれた金色の泡のことを思い浮かべれば、しばしうっとりした気分にさせられるだろう。

21世紀のレディメイドにはかつてのダダにあった破壊的な身振りはない。土屋に限らず、世界的に見てもネオ・コンセプチュアル以降のデュシャンピアンたちに継承されたのはユーモアやウィットであり、さらにナンセンスに代わって現代的でスタイリッシュなセンスが素材選びの尺度となる。ポップ・アーティストたちがマス・プロダクトに対するコンプレックスやオブセッションを原動力としたのに対し、修正レディメイドならぬこの"継承レディメイド"の作家たちは野山で摘んだ草花を生けるように日常生活のなかから何気ないものを抽出し自然の見立てとしてみせる。そのコンセプトは現代のセレクトショップやプロダクト雑誌に顕著な工業製品のデザインや機能に対する関心やこだわり、あるいはDJやデスクトップ・ミュージックの手法であるリミックスやエディットにも共通する感覚(センス)といってもいい。

あるいは、こういう言い方はどうだろう。かつてポップ・アートが善くも悪くも消費社会の壮大なパノラマを描いたように、2000年代はネオ・ポップに端をなすオタク世代のアーティストによってマンガやアニメを題材に情報メディア社会の大パノラマが描かれた。その片隅で土屋は消費社会や情報社会というシステムのミニチュアや物理モデルを組み立ててきた。たとえば、インターネット・オークションで落札した野球やサッカーの歴史的な名勝負の未使用チケットを額装しスポーツ・コラムを思わせる洒落たタイトルを付けた作品シリーズ(《小さく前へならえ》2001-03年)は、まるで情報メディアの川から採取した奇石か盆栽のような愉楽と風雅すらたたえている。ただの石ころに宇宙を見出す、その見立てにおいて作家の手垢は少なければ少ないほど、小さければ小さいほど善い。

「例えば宇宙の果てを想像してみる。するとその途端に想像は宇宙のフチまで引き戻される」(土屋貴哉、『思考の観察』カタログ)という作者の言葉につなげて言うなら、鉛筆で真っ黒に塗られた消しゴム(《Delete》2007年)はその極薄(アンフラマンス)の皮膜をもって観る者を宇宙のフチに立たせるのだ。

いわば、計り知れぬ宇宙を測りきる。そのために土屋が初期の作品からよく用いるものに、定規や巻尺、台秤や温度計、方眼紙といった目盛りのついた道具類がある。物の寸法や重量、現象の変化を計測し数値に置換するためのスケールは、測るという行為と計るという思考を一体にする。昨年発表されたコンピュータ・ディスプレイのなかに広がる1キロメートル四方の方眼紙をスクロールさせる《1000 Square meter》は私たちが日頃コンピュータ・マウスで移動する情報空間の精巧な1分の1スケール・モデルだった。今回発表される原寸大のサッカーフィールドの作品では目盛りに代わって芝の上に引かれた白線がプレイヤーを宇宙(ピッチ)のフチに立たせてくれるだろう。

さて、なくなった目盛りはどこへ行ったのかというと、写真作品《FLY》のなかで空に放り出されている。飛翔する巻尺は地上に落下すればデュシャンの《三つの停止原基》になるのかもしれないが、土屋の作品においては永遠に宙吊りにされた状態にある。空の大きさを測るためか、巻尺は直線的ではなく不定形の弧を描いたまま静止している。

作者はまったく意識していなかったそうだが、僕はこの作品からオノ・ヨーコを連想した。「この線はとても大きな円の一部である」と記した《青い部屋のイヴェント》の壁面に引かれたラインを三次元的な空間に投じたと想像しよう。そもそも空はオノの長年のテーマだし、タイトルの《FLY》には同名の実験映画もある。

土屋とオノのこの奇妙な符合はいったい何なのか。ほかにもオセロゲームを使った土屋の映像作品《二重スパイ》はオノのチェスの作品《プレイ・イット・バイ・トラスト》に重なる。2人に共通する作風が見られるのはまたおそらくデュシャンのせいだろう。だが、それは何もこの2人だけに限った話じゃない。

話の駒をさらに進めるためにここからはむしろ2人の違いについて考えてみる必要がある。黒と白のプレイヤーがランダムに入れ替わる対局とすべてが白い駒によって行われる対局は、ともに勝者がいないという主張に変わりはないが、土屋のオセロがいつまでたっても終わらないのに対し、オノのチェスは打つ前から結果が明らかだ。算術にたとえるならオノの解答は最初から整数でわかりやすいのだが(たとえば「世界平和」)、土屋の解答はいつまでも割り切れない無限小数でありながら実は3分の1のように視覚的に完璧なバランスをもった分数なのではないか。あるいは、それとも、土屋が求める解答はそもそも数字ではないのではないか。そのためには、まず物事の尺度として私たちが無条件で信頼を寄せる目盛りこそを消し去る必要がある(目盛りではなく目分量による計測方法、あるいは計測不可能な様態にこそある種の絶対優位性があるのではないかという彼の静かな主張は、目盛りのないアルコール棒状温度計の作品に《Perfect Job》というタイトルを付けていたことからも伺える)。

オノが世界に与えた最も影響力ある作品が「イマジン(想像しなさい)」で始まるインストラクションだとすれば、土屋が今後世界を変えていくために使うべきキーは《Delete》だろう。想像vs.消去。それは対極の行為のようでありながら同じ主張を唱えている(戦争は終わる──もしあなたがそれを消去(デリート)するならば)。そういえば、あの小さな黒い消しゴムはSF映画で見覚えのある謎の物体のミニチュアのようにも見える。

「VOCA2013 現代美術の展望 -新しい平面の作家たち」

会場:上野の森美術館(東京)
会期:2013年3月15日(金)〜3月30日(土) 

この度、イムラアートギャラリー東京では日野田崇 個展「新しい筋肉」を開催いたします。
本展は、2009年個展「変形アレゴリー」以来、当ギャラリーでは2年ぶりとなったイムラアートギャラリー京都での個展(2011年6月4日~7月23日)の巡回展となります。

セラミック・アーティストの日野田崇(1968 神戸市生まれ)は、1991年に大阪芸術大学芸術学部工芸学科陶芸コースを卒業し、現在は京都嵯峨芸術大学芸術学部の准教授です。

日野田は、陶土に日本のマンガやアメリカンコミックのような線や図形、絵をのせて作品を作ります。
作品は、造形、色、表面の図柄が混在しながらも共存しており、見る者は二次元(表面)と三次元(造形)の世界を往来します。日野田の作品は、有機的なかたちと、マンガという親しみやすい題材によって見る者を容易に近づかせます、実は物語のない断片的な情報や、不気味にも見える図柄の集まりということに気づくと、我々は戸惑い、不穏さを感じます。愛嬌と狡猾さが同居しているようなこれらの作品は、冷静に社会を見つめる作家の批判精神を代弁しているようにも見えます。
作品に描かれているように見える絵は、実はプラスチックシートを切り抜き、貼ってできた図柄であり、現在の日野田の制作には欠かせない方法です。この、日野田の精巧なつくりこみが、作品に存在感と説得力を与えます。

また日野田は、展示空間も徹底してつくりこみます。作品同様プラスチックシートを巧みに切り抜き、展示空間の壁、床、天井に計画的に時に自由に線や絵を描き(実際は貼る)ます。まるで作品から線や図柄が飛び出しているようにも見え、正に展示空間がひとつの世界となります。
このようにしてできあがる日野田の作品は「陶芸」という括りではおさまらず、あらゆる領域の往来を可能にしています。このような作品や展示方法は国内だけでなく海外でも評判を呼び、欧米やアジアでのグループ展にも数多く参加しています。

本展は、「新しい筋肉」と題し、日野田のヴィジョンによるこの先の人類のカタチを表現した作品約5点を展示予定です。今までにはない、紫や緑色を使用した作品も注目です。もちろん、プラスチックシートを駆使したインスタレーションを行います。

また、8月20日(土)18時より、小田島等氏(イラストレーター・デザイナー)をお迎えしての対談を行います。
本展をご高覧いただきますとともに、対談にも足をお運びいただけましたら幸いに存じます。

 



 小田島等 Hitoshi ODAJIMA

1972 年東京生まれ。イラストレーター・デザイナー。桑沢デザイン研究所卒業。1995 年よりフリーランスとして、CD ジャケットや書籍デザインの分野を中心に活躍。その後、イラストレーションやグラフィックデザインだけでなく、漫画や展示活動にも表現の領域を広げる。著作に『無 FOR SALE』(04 年)、『2027』(07 年/古屋蔵人、黒川知希との共著)、監修本に『1980 年代のポップ・イラストレーション』(09 年)。また、細野しんいちとのユニット「BEST MUSIC」としてインストCD 作品『MUSIC FOR SUPERMARKET』(07 年) をリリース。2010 年には初の作品集となる『ANONYMOUS POP 小田島等作品集』を上梓するなど精力的な活動を続けている。

小田島等 公式サイト http://www.odajimahitoshi.com/

 



この星の上に生命が誕生して以来、その肉体のかたちは常に環境と一体になってメタモルフォーゼを遂げてきた。
しかしヒトが環境を操作し激変させた結果、そのシステム自体が完全に破綻をきたしている。
骨も皮も筋肉ももうその目紛しい変化にはついていかないように感じられる。
しかし、ある音楽家が21世紀の音楽について尋ねられたとき、その答えの中で「人間はまだまだ原始的な段階なのであり、変化を受け入れることで新たな筋肉をつけるように、長い鍛錬の時期を経て変わっていくだろう」と述べていた。
それはかつてないミューテーション的な変化となるのか、古い倫理観を完全に塗り替えるものになるのか。
いずれにしても、魚がかつて陸上に上がって歩行動物になったくらいのドラスティックな変わりようであるのは間違いないように思える
そのとき僕たちは一体何処にいるのだろう?
まだ地球の上にいるだろうか?
ヒトが類として存続することがこれほど困難に感ぜられる現在、その岐路のヴィジョンが頭の中を去来している。

日野田崇

 「VOCAの20年 1994-2012」

会場:第一生命南ギャラリー(東京)
会期:2013年3月4日(月)〜4月12日(金)
  

この度、イムラアートギャラリー東京では7月2日(土)より、ベ サンスン(Bae Sangsun)個展「ゴルディアスの結び目 Gordian Knot」を開催いたします。

ベ サンスン(1971年 韓国生まれ)は、ソウルの美術大学を卒業後、東京、ロンドンそして京都へとその制作拠点を移しながら、独自の表現の追求を続けてきました。

ベ サンスンにとって、制作の継続的なモチーフである、白と黒のみで描かれる「結び目」。本展のタイトルでもある「ゴルディアスの結び目」の伝説は、ベ サンスンが「結び目」を描くコンセプトとして長年あたためてきたものです。そして今、向き合わなければならない困難に日本全体が直面するなか、ベ サンスンは今回の個展のテーマとして「ゴルディアスの結び目」を選び、その困難を容易に解くことはできない複雑な「結び目」として作中に表現しています。

以前の作品においては、人間関係を主たるテーマとし、柔らかくシンプルに描かれてきた「結び目」が、今回の新作では、固く複雑に絡み合いどこか重苦しい空気をも漂わせています。しかしベ サンスンは「作品から重みを感じ、複雑に絡み合う結び目を追いかけることで、目をそらすことのできない困難と向き合ってほしい」と話しています。

本展では、インスタレーション形式の作品を含む新作7点を展示予定です。イムラアートギャラリーでは、2009年のイムラアートギャラリー京都での個展以来2度目となる本展をぜひご高覧ください。

また、7月2日(土)18時より、戸谷成雄氏(彫刻家 ・ 武蔵野美術大学教授)をお招きしての対談を行います。ベ サンスンにとって、武蔵野美術大学大学院在籍時の教授(当時は油画)として師弟関係にある同氏との対談となる今回、ぜひ足をお運びいただけましたら幸いに存じます。

 



戸谷成雄 Shigeo TOYA
1947年長野県生まれ、彫刻家、武蔵野美術大学教授。1973年愛知県立芸術大学彫刻科卒業、1975年 愛知県立芸術大学大学院彫刻専攻科修了。チェーンソーを用いた木彫作品を主に発表しており、広島市現代美術館、国際芸術センター青森、発電所美術館、愛知県美術館、シューゴ・アーツ、ケンジ・タキギャラリーなどで個展多数。また、ヴェネツィア・ビエンナーレ(1988年)やインドトリエンナーレ(1997年)に出展するなど国際的に活躍。

 



私はこれまで人と人とが関係する「結び目」をモチーフにして作品を作ってきました。世界にはたくさんの人がいて、人々がそれぞれみな異なるように、「結び目」の形もさまざまです。その形が堅い絆を象徴することもあれば、ほどきたくてもほどけない大きな困難を示すこともあるでしょう。

紀元前のお話になりますが、フリギア王国のゴルディオンという都の中心にある神殿に一台の古い戦車が祀られていました。この古い戦車は「ゴルディアスの結び目(Gordian Knot)」と言われる複雑に絡み合った縄で結わえられており、「この結び目を解いたものがアジアの支配者になる」という伝説が伝えられていました。ときのひとアレクサンドロスは、多くの人が挑戦してもほどくことのできなかったこの結び目を、腰の刀で一刀のもとに切り捨てたのです。このことから「ゴルディアスの結び目」には、「容易に解決できない厄介な難事」の意味もあり、これを切り捨てること(Cut the Gordian Knot)は、一般に「難事を一挙に解決する。常識外の手段で非常事態を平定する」として使われます。

私たちは生きているあいだにさまざまな困難に直面します。時にその困難は私たちにとって解決策がまったく存在しないかのような大きなものになる場合があります。アレクサンドロスのように困難を一挙に解決することができればよいのですが、そのためにはまずその出来事を知り、個々のやり方で困難と向き合うことが必要だと考えます。

わたしにとって絵画は愛するものであり、私の感覚や心とも固く結びついているものなのですが、「結び目」を描くことは、同時に今ある大きな困難に真摯に向き合うことでもあるのです。

べ サンスン

この度、イムラアートギャラリー東京では「ジパング展」(2011年6月1日より日本橋髙島屋にて開催)の関連企画といたしまして、ジパング展出品作家、上田順平 ・ 染谷聡 ・ 渡邊佳織の3名によるグループ展「Jumpei UEDA / Satoshi SOMEYA / Kaori WATANABE from ZIPANGU」を開催いたします。

「ジパング展 ー31人の気鋭作家が切り拓く、現代日本のアートシーン。」には、日本の現代アートをになう総勢31名の作家が参加、6月1日からの日本橋髙島屋を皮切りに大阪髙島屋、京都髙島屋と巡回展示いたします。イムラアートギャラリーからは、本グループ展作家の上田順平 ・ 染谷聡 ・ 渡邊佳織を含む7名が出品いたします。

日本の伝統や大衆文化をモチーフにした陶磁器作品の制作を続ける上田順平。その卓越した技術と感性、探究心に裏付けられた作品は、生活の中で見慣れているものを違う視点で見せるだけに、私たち現代人を戸惑わせつつも、強く訴えかける力を持っています。
漆という素材や、蒔絵・漆絵・螺鈿・沈金といった伝統的な技法を用いながらも、独特の現代的感覚との融合により、動物や怪獣などのイキモノをモチーフとしたキッチュな立体作品を生み出す染谷聡。そして、幻想的で力強い絵画世界で見るものを引き付ける日本画家 ・ 渡邊佳織。渡邊はその確かな技術力で、写真家・蜷川実花の監督作品「さくらん」に劇画協力するなど、日本画の枠におさまらずあらゆる分野で注目を浴びています。 

陶芸 ・ 漆 ・ 日本画と三者三様の技法を用い、それぞれに日本の伝統や独自の文化、美意識と向き合い、現代における表現を試みる3名によるグループ展をぜひご高覧ください。

ジパング展 公式サイト http://zipangu.org

イムラアートギャラリー東京では、5月7日(土)から21日(土)まで、「東北画は可能か?−方舟計画−」展を開催いたします。

「東北画は可能か?」プロジェクトは、三瀬夏之介(2009年〜東北芸術工科大学美術科日本画コース准教授)が同大学洋画コース講師の鴻崎正武とともに企画運営している、日本画・洋画・総合美術などの様々なコースの学生を交えたチュートリアル活動です。
その活動の一環として、これまでに「東北画は可能か?」と題した展覧会を東京(2010年4月)、宮城(2010年9月)、山形(2010年10月)、青森(2010年11月)にて開催してきました。

今回の「東北画は可能か?−方舟計画−」は、11月に気仙沼のリアス・アーク美術館での展示を予定されていましたが、この度の東北地方太平洋沖地震による中止を受け、急遽イムラアートギャラリー東京にて開催することにいたしました。

本展覧会では、今年の冬から取り組んでいた「方舟」をテーマとした学生たちの共同制作作品をメインに展示いたします。またプロジェクトに関係する宮城在住のアーティストたちの震災後の作品も並びます。<br />
「いまここ」に住んでいる土地に向き合い、自身のリアリティと結実した表現の模索という本プロジェクトの作品を、より多くの方にご覧いただけましたら幸いに存じます。

 


 

「東北画は可能か?−方舟計画−」
 
一年前から私が勤務する東北芸術工科大学では「東北画は可能か?」というチュートリアル活動をスタートさせていました。この活動は、全国各地から縁あって山形に集まってきた学生たちと共に、ここ東北地域における美術のあり方をディスカッション、勉強会、講評会などを通して考え、作品制作をし、展覧会という形で巡業するというもので、すでに多くの作品が仕上がり、東京、山形、宮城、青森などでの展覧会を終えていました。

今年は夏に福島県の奥会津に滞在し、地域の方々との交流も含めながら「縄文」「方舟」というテーマでの共同制作を考えていました。また11月には気仙沼にあるリアスアーク美術館での展示も決まっていました。
「今年の夏は忙しくなるぞ!」と学生たちと話していた矢先の3月11日14時46分、あの地震が起きたのでした。

4月になり、比較的被害の少なかった山形では物資やガソリンもようやく平常時に近い供給が行われるようになってきました。学生たちも避難所や被災地へボランティア活動に向かうもの、長期的な支援を考えるもの、そして制作を進めるものと動き出したものの、やはり続く余震、予断を許さない原発、そして劇的に変化するであろう未来への不安と緊張が隠せません。そしてそれは私も同じです。

そんな中、チュートリアルメンバーが集まり、共同制作「方舟」の制作が再開しました。地震前から多くの人が感じていた未来への閉塞感、何か大事なことを先延ばしにしているような感覚、価値基準の多様化と並立化、そんな中から次代に残すべきもの、感情、仕組みなどを「方舟」に託して描き上げようという思いは311以降ほんとうに切実なものとなりました。

これからアートの立ち位置も変化していくことでしょう。まずは被災者たち(日本のすべての人かもしれない)を癒す効果のあるもの、新たなるコミュニケーションを誘発させるような仕組みをもったもの。もうそれはこれまでのリレーショナルアートやデザインの域をはるかに超えていくのかもしれません。
でもけっしてそれだけではない。アートは刻み残された記憶でもあるのです。

絵とそして自分と対峙すること。孤独や無情を思い知ること。このどうしようもなく隠しきれない気持ちをしっかりとトレースし定着させて残していくこと。それもアートの大きな役割のひとつだと思います。
まだまだ被災地では多くの支援が必要な中、東北をモチーフとした多くの作品があり、これからも表現し続ける人が住んでいることを知ってもらうために今回の展覧会を開催することにしました。

「方舟計画」。希望も絶望も無常も不安も喜びも悲しみも全部のせて再び東北を巡業したいと願っています。

東北芸術工科大学准教授 三瀬夏之介

この度イムラアートギャラリー東京では、橋爪彩個展「After Image of the Red Shoes」を開催いたします。

橋爪彩(1980年東京生)は東京芸術大学修士課程修了後、2005年からベルリン、2009年からはパリへと制作拠点を移し、昨年秋に帰国いたしました。2004年にシェル美術賞岡部あおみ審査員奨励賞を受賞、海外滞在中も「所沢ビエンナーレ引込線」(2009年)に出品するなど高い評価を受けています。
帰国後初となる本展覧会では、ベルリン滞在中の2007年から取り組んでいる「Red Shoes Diary」と、2010年より生まれた「After Image」という2つのテーマの作品群を展示いたします。

「美術に囚われ作家となった為に遠く欧州まで赴き、見知らぬ土地で日々障害と遭遇して傷だらけになっても描くことを辞められない自分は童話『赤い靴』の主人公カレンによく似ている。」と橋爪は記しています。
「Red Shoes Diary」は、橋爪にとっての魔術的オブジェクトである赤い靴を作品に昇華したシリーズです。

「After Image」は、「Red Shoes Diary」で確立された感性と橋爪の高度なテクニックによる伝統的西洋絵画のアップデート。橋爪は、ヨーロッパ滞在により生まれたこの2つのテーマで、パーソナルなリアリティから出発し、西洋中心の美術観に対する問題提起へと大きく展開しています。

本展では120号の新作を含む約10点を展示いたします。ご高覧いただきますようお願い申し上げます。

  


 

after image(独語:Nachbild)はゲーテが色彩論の中で展開した言葉の一つであり、「残像」を意味する。
約四年半に渡る欧州滞在で、私は亡霊のように実像なく立ち上がる残像を数多く目にした。
特に美術において、もはや残像と呼ぶしかない過去の栄華を今だに賛美する様子は妄執そのものであり、世界が光の早さで繋がってしまう現代で取り残された印象を強く与えている。
私はアーティストとしてその時代錯誤な保守性に疑問を持ち、これからしばらくの制作のテーマとしたいと思った。すべてが同じ地平から見渡す事が可能な現在なら本来西洋美術の文脈から遠く離れていた私たちにもその虚像を破壊し再生する事が可能であり、エトランジェだからこそ複雑な多様性を与えられるのではないだろうか。
今回制作にあたり選んだモチーフや技術は伝統的な西洋絵画を意識的にトレースしたものだ。
加えて私が嫌悪するテーマのモチーフばかりをあえて多く集めている。
着手してからまだ日の浅いテーマではあるが、このafter imageシリーズを私からの西洋中心の美術への贈与の一撃、すなわちGift(独語で「毒」)としたい。

今回の展示はこの新しいシリーズと欧州で制作した前シリーズ「Red Shoes Diary」をブリッジする内容となっている。
2007年から描かれたこの旧シリーズは、欧州での私の様子が童話赤い靴のストーリーによく似ている事から立ち上がり、昨年日本へ帰国するまで従事した。
二つの大きく異なるテーマを抱えた展示だが、これは形骸的なジャポニズムばかりをあえて評価し、自分たちの土俵になかなか私たちを上がらせたがらない西洋美術へのアプローチである。

橋爪彩

この度イムラアートギャラリー東京では木村秀樹展を開催いたします。

木村秀樹(1948年 京都市生まれ、大津市在住)は1974年京都市立芸術大学西洋学科専攻科修了。
吉原英雄らに続く第二世代として関西版画界を常に牽引してきました。
国内外での個展、グループ展、コレクション多数。
2008年の第21回「京都美術文化賞」など受賞多数。
1998年より京都市立芸術大学の教授を務め、多くの若手作家の育成に貢献しています。

本展では、木村が紙やキャンパスに行ってきたスキージング(スキージというヘラを使用したシルクスクリーンの印刷方法)を厚さ3mmのガラス上に展開した作品を発表します。ガラスの表と裏からアクリル絵具によって描かれたその作品は、見るほどに色の重なりの上と下の関係が曖昧になり、何とも不思議な感覚を覚えます。

今回は昨年12月のイムラアートギャラリー京都の個展で発表した作品に約8点の新作品を加え、15*15cmの小作品から70*100cmの作品を中心に全約13点を展示いたします。どうぞご高覧ください。

この度、イムラアートギャラリー東京では極並佑・近藤亜樹・英ゆう・龍門藍によるグループ展を開催いたします。

タイの供花や伝説をモチーフに独自の世界観を構築する英ゆう。龍門藍は、同世代の女性ファッションや、
日常生活で形式化された行事やしきたりを大胆な構図、鮮やかな色彩で描き、極並佑は現代社会の人間関係を独特の色使いと線で表出させます。
そして、東北芸術工科大学大学院在学中である近藤亜樹のダイナミックで力強い表現からはエネルギーが溢れ出します。

イムラアートギャラリーが今までご紹介してまいりました2名の作家、英ゆう、龍門藍に、イムラアートギャラリー初出展となる極並佑、近藤亜樹を加えた、それぞれに色彩感覚豊かな作品を特徴とする4名の作家によるグループ展となります。是非ご高覧ください。

この度、イムラアートギャラリーは東京・神楽坂にセカンドスペースをオープンいたします。
新スペース最初の展覧会として、三瀬夏之介個展「ぼくの神さま」を開催いたします。

三瀬が初期のころから取り組んできたモチーフ「ぼくの神さま」。
今回は、154×1440cmの大作をはじめ、すべての作品が新作です。
また、ギャラリー内には三瀬が近年取り組んでいるテーマ「東北画は可能か?」を含む「思考アトリエスペース」が出現、基地のようなインスタレーションを展開します。

「絵描き」三瀬夏之介の原点と現在を探る新作展です。ぜひご高覧ください。

 



どうやらぼくは信じられるものを探しているらしい。そしてそのことと描くことは密接に?がっているようだ。
既存の宗教が大きな過ちを犯し、母なる大地が大きく揺れ動いた1995年、ぼくはまだ22歳だった。それまでぼくをぼんやりと包んでいた安心感と、先行き不透明な不安感といった相反するものが、初めて切実に問われた瞬間でもあった。

大きな存在を信じたいけどそんなものはもうどこにもない。でも何も信じることなく進む人生なんて恐くて想像したくもない。
大袈裟に言うと、この年に最悪のたれ死にを覚悟してでも描き続けていくという肝がすわった。
これまでに「ぼくの神さま」というタイトルで描かれたぼくの絵は何枚かある。過度な幸福感に包まれたり、のがれようのない不安感にさいなまれたときにこのモチーフに取りかかるようだ。

会場には横10mほどのワイド画面に、どうしようもなくチープでハイブリッドな継ぎはぎ神さまが多数立ち上がるだろう。
これはぼくの象徴作りなのである。

三瀬夏之介

イムラアートギャラリー京都では、三好彩の初の個展「火」を開催いたします。

赤、青、黄、緑、ピンク、グレー、黒、白など様々な色彩の油絵具が、時に厚く、ダイナミックに重ねられ、力強い存在感で迫ってきます。描かれるモチーフは、体内の臓器を想起させるような曲線や、シンメトリーの図柄、具象とも抽象ともとれる不思議な形体で、それらが、強烈な色彩で画面いっぱいに広がります。

幼少期から抱いてきた言葉にできない感覚やイメージを描いているが、「自分の感覚を人に伝えるのはとても難しく、言葉にすると違うものになってしまう。完成した作品は、まるで自分の分身のようである」と言います。不安や違和感といった感情からイメージし、描くことが多く、一見不穏で混沌とした世界のようですが、常に自己の内面に向き合い、無垢で純粋な印象をも与え、見る者に強烈に訴えかけてきます。
三好が内に秘める、他人のうかがい知ることができない様々な記憶や感情が、独特で鋭敏な感覚で描き出されます。

本展のタイトル「火」は、生命力、エネルギー、生きていること、源 など、これらを統合してシンプルな単語で表したと言います。大胆な筆遣いで描かれる、自由奔放で、エネルギー溢れる作品群を是非ご高覧ください。

2012年11月17日(土)より「辻村史朗「土」展」を開催致します。  

奈良県水間町、美しき人里離れたこの地を庵に選び、火と土と共に生きる陶人、辻村史朗。自然釉の深い味わいと力強い存在感溢れる作風が特徴の、 今日本を最も代表する陶芸家です。

氏のライフスタイルは全てが辻村史朗作品といっても過言ではありません。 重厚で分厚い引き戸、炭の煙でいぶされた黒光りする柱や床、無造作に塗り込められた土壁。家屋、茶室、寄り付き、 全て辻村氏本人が運び込んだ材木を使い自ら施工。それだけでも心奪われてしまいます。そして招かれた客人たちは 氏とその家族からの心のこもったもてなしを受け、盃を交わすのです。よって心が通い豪放磊落な辻村氏の作りだす器 の意味を知るのです。

師をもたず、独自の方法で作陶を極 めた辻村史朗の制作スタイルは、非常に豪快で奔放です。自他ともに認める 多作で、年に数えきれない作品を作り出します。またそれらは雨風に晒されながら自然と風合いを増していき、奈良 の大自然をそのまま閉じ込めたかのような、奥深い景色を作り出すのです。

また、作陶だけにとどまらず書、絵画と幅広い作品製作にも長年力を注ぎ続け、その作風は大変力強く圧巻であり ます。辻村史朗の茶器・食器・絵画と書の展覧会を3会場にて同時開催致致します。 それぞれに力を注いできた作品をそれぞれの異なった設えでどうかお楽しみください。

京都随一の骨董通である古門前に店を構える「てっさい堂」にて茶器、古門前から新しいスペースへ移り、本展が こけら落しとなる「tessaido 昂」にて食器、丸太町から現代アートを発信し続ける「imura art gallery」にて絵画・書。

京都での個展の開催は7年ぶりとなる大変貴重なこの機会、是非ともご高覧下さい。


会場マップ.jpg


[ 会場 ]
茶器... てっさい堂
605-0089 京都市東山区古門前通り大和大路東入
TEL 075-531-2829
FAX 075-525-1026
営業時間 10:00 - 18:00

食器... tessaido 昂
605-0074 京都市東山区祇園町南側570-103 ZEN 2階
TEL 075-525-0805
営業時間  11:00 - 18:00

 絵画・書... imura art gallery
606-8395 京都市左京区丸太町通川端東入東丸太町31
TEL 075-761-7372
FAX 075-761-7362
営業時間 11:00 - 19:00



[ 作家略歴 ]
1947 奈良に生まれる。
1965 画家を志し、東京へ上京。井戸茶碗に魅せられ作陶を決意。
1969 作陶を始める。
1970 奈良・水間に家を建てる。
1993 英国・ウエスト デボンに築窯。

[ 主な個展 ]
1977 奈良・水間にて初個展
1983 東京・日本橋三越本店
1984 名古屋・丸栄
1987 大阪・阪急デパート
1990 京都・たち吉本店
1993 ドイツ・フランクフルト・ジャパンアート
1994 ロンドン・ギャラリーベッソン、ドイツ・フランクフルト・ジャパンアート
1999 京都・裏千家茶道資料館
2003 ニューヨーク・ギャラリー古今
2006 東京・ギャラリー遊
2008 京都・大徳寺芳春院
2011 東京・銀座一穂堂
2012 京都・てっさい堂、tessaido 昂、imura art gallery

[ パブリックコレクション ]
○アメリカ:カンザス大学付属美術館、クリーブランド美術館、ブルックリン美術館、
 ボストン美術館、メトロポリタン美術館、
○日本:京都・裏千家茶道資料館、ミホ美術館
○ドイツ:フランクフルト工芸美術館
○スウェーデン:ストックホルム美術館

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