この度、イムラアートギャラリー東京では、佐藤雅晴個展、11月26日(土)より、映像作品展「取手エレジー」2012年1月7日(土)より、平面作品展「ココちゃん」を開催いたします。
佐藤雅晴(1973 年 大分県生まれ)は、1996 年東京芸術大学美術学部油画学科を卒業後、1999 年同大学大学院修士課程を修了。2000 年に拠点をドイツに移し活動後、2010年より茨城県取手市で制作しています。
2009年には岡本太郎現代芸術賞にて特別賞を受賞、「 No Mans Land」(フランス大使館旧事務所棟、東京)に出品など高く評価されています。また、国内にとどまらず、「D調」(関渡美術館、台北)、「City_net Asia 009」(ソウル市立美術館)などの国際展にも出品し、国際的活躍も期待されています。
佐藤が用いる平面作品の制作方法は極めて独自のものです。まず写真を撮影し、その写真データをパソコンに取り込みます。取り込んだ写真データをパソコン上で、トレースし、油絵と同じように下地を塗り、絵具を重ねるようにペンタブレットで描くのです。最終、写真データのみ消去され、佐藤がペンタブレットで描いたものだけが残ります。そうして生み出された作品には、写真でもなく絵画でもない、独特の空気をまとっています。
一方、佐藤の映像作品は、そうして作り出された複数の平面(静止画像)を重ねることで作られています。「取手エレジー」では、映像作品5点を展示いたします。「ココちゃん」は、近所に住んでいる2才の女の子をモデルに描いた平面作品の展覧会になります。
デジタルをアナログに駆使した佐藤の新作をぜひご高覧ください。
「エレジーとして蘇るもの――夢、狂気、気配」
佐藤雅晴は、アナログな手法で制作されたデジタルアニメーション、デジタル絵画などを通じて、都市あるいは都市の周辺部としての郊外や田舎における少し捩れた不思議な日常風景を描き出すことで、現代社会の背後にある問題を提起する。故にそれらの作品には、主題は佐藤の居住地に限定されながらも、地球上のどんな都市部とその周辺部にも当てはまり、何処で起きても不思議ではない現代性が現れる。
例えば初期のアニメーション代表作《Traum》(2004-2007)や、2008年頃から制作しているデジタル絵画では、自らの夢などに取材した不思議でオカルト的都市体験が描かれており、現実世界と夢世界の間を互いにスライドさせることで、ふたつの世界に潜む「気配」が表面化されているように見える。<br />《Calling》(2009-2010)では、都市の様々な場所で誰も居ないが故に鳴り続ける携帯や固定電話が電話を掛ける側と受ける側とのネットワークを暗示し、非常に現代的な都市の気配――ネットワークシステムとしての都市や遠隔コミュニケーションの発達によるユビキタスな存在態――を出現させる。また《Avatar11》(2009)では、11人の等身大のポートレートが様々なシーンを背景に観者側に振り返り続けることで、ネット上の背景もしくは情報によってのみキャラクターが規定されるようなヴァーチャルなアイデンティティの問題が提起される。
本展「取手エレジー」出展作《バインド・ドライブ》(2010-2011)では、「絆」という夫婦演歌を背景に雨の降り続く郊外――佐藤の居住地である茨城県取手市周辺の様々な無人の風景がある種クールで淡々とした視点で切り取られていく。最後には田んぼの真ん中に駐車された車内で天使(女)と悪魔(男)がカーステレオから流れる「絆」を口パクで歌い上げ、「捨てないでね」「捨てるもんか」と絆を確かめ合う。現在の日本では放射能と切り離して考えることができなくなった雨の下、この不可能な絆、不条理な関係がどこへ進むのかと我々は考えさせられる。 また新作映像では、取手の風景を元に、どこにでもありそうな郊外の風景にある種の物語を纏わせること、すなわち風景を情景に転化することを試みている。そこには、《バインド・ドライブ》の不条理な現実にも通じ、佐藤が3.11の震災以降に感じた心象風景が重ねられているのであろう。《エレジーシリーズ:桜》では、郊外の住宅地で桜吹雪が散る中、ブルーのジャージを着た女の人が交通ミラーに向かって手を振る。何かが不可解で不安になるのは、もしかしたら我々の心理がそうさせているのかもしれない。このように、佐藤の作品は情景として機能しながらも、観る私たちの想像力へと続きを委ね開かれている。それは必ずループになった映像が、絵画と同じようにどの瞬間から見ても成立し、観客が自由に鑑賞・構想できることを目指すことにも寄るのだろう。
佐藤の作品に共通して見られるある種の不可解さや違和感、あるいは摩擦のような要素は「完全な日常というイメージ」にかすかに入ったひび割れのように機能することで、観者である私たちが現実だと信じている「生の現実」にも照射されていく。この不可解さや不安感はおそらく、現代文明や管理された近代システム下で抑圧され居場所を失った「夢」、「狂気」、「気配」が表現として亡霊のように戻って来たことに依るのだろう。このように佐藤は、今後も世界中で続いて行く都市化という現象を内部から経験しつつ、ある種のエレジーとして表現することで、我々に「夢」、「狂気」、「気配」といった失われたものについて再考する機会を与えてくれるのだ。
椿 玲子 森美術館アシスタント・キュレーター
京都大学大学院、人間・環境学研究科、創造行為論修士、パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)哲学科、現代美術批評修士、カルティエ現代美術財団インターンなどを経て2002年より現職。 森美術館では「MAMプロジェクト007:サスキア・オルドウォーバース」、「MAMプロジェクト011:ジュール・ド・バランクール」などを企画。