イムラアートギャラリー東京では、土屋貴哉+アタカケンタロウ展「昨日はどこへいった。」を開催いたします。
土屋貴哉(美術家)とアタカケンタロウ(建築家)コラボレーションによる本展「昨日はどこへいった。」は、2013年春、当ギャラ リーの新スペースへの移転にあわせて、スペースの受渡し後の改装からオープンまでの過程と時間を扱い、好評を博した同名のメディアイ ンスタレーションの続編。今回は当スペースオープン後の様子も追加収録し、スペースの立ち上げからクローズまでの時間を包み込んだ完 全版。1周/分の速度で回転するプロジェクターの光が、照射先の過去の層を薄皮をめくる様に原寸大で映し出す。
およそ1年半に渡り、ギャラリーの中心にカメラを据えて定期的に15°ずつ回転させながら撮影し、数千枚におよぶ撮影画像をつなぎ合 わせた長尺画像を、「一分間に一回転するプロジェクター」で撮影した同じ場所に回転投影しつづける。回転するたびに徐々に壁が解体さ れたり新たな壁が作られたり、壁の色が変わっていったり、展覧会の様子が映し出されていく。映像はやがて(人の記憶がそうであるよう に)時系列を行ったり来たりし始め、やがて改修前のギャラリーの状態(ふりだし)へと戻っていく。
■協力:端裕人氏(写真家)、秋廣誠氏
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「昨日はどこへいった。」
よく、時間だけは全ての人に平等な資源だといわれたり、時間感覚は年齢の逆数に比例するといわれる。
そんな平等な資源の中、重力に従い垂直方向に落下する私。衝突までのコンマ数秒間のできごとは、やっぱりさほど長くも感じられず結局コンマ数秒 間、一瞬の時間感覚だった。
2012年暮れ、われわれは幾度となく西荻窪の路地裏の暗黒大陸で、安酒に浸りながら打合せを繰り返した。いつもの店のいつもの席に座る。注文す る肴も酒も気付くと毎回だいたい一緒。店主は勿論、集まってくる客たちも何となくいつも代わり映えのないなか、毎回違うのは打ち合わせの議題と本 日のおすすめくらい。いつも19時過ぎから始まったわれわれの打合せはこんな風に繰り返された。
打合せはいつも順当に進みそして酒も進んだ。けれど本日のおすすめ以外ほとんど変化のない状況(シーン)に毎回囲まれてると、同一チャプターが繰 り返し再生される物語のなかに居るような違和を感じる。幾分酔っていたせいもあるだろう。それはシールのように、われわれの周囲から時間そのもの がめくれ上がっていくような、またはわれわれの所属とは異なる時間が周囲に貼り付いていくような、不思議な感覚へとつづいていった。
そんないつかの昨日を、骨盤を割った私は松葉杖を両手に持ち、病院周りのいつもの順路を時計回りにリハビリ歩行を繰り返しながら思い出す。
ひとの記憶はその時の周囲の状況と紐付けされセットでインプットされるというが、われわれにしてみたら、その周囲の状況にほとんど差異がない為、 打合せを重ねるにつれ、話し合ってきた内容の時系列がどんどん崩壊していき、トピックスのヒエラルキーもだんだん曖昧になっていった。今になって みると、毎回欠かさず本日のおすすめを注文してたら幾分この時系列が崩壊していく症状も和らいだんではないかと思う。
あれからどれくらいの時が経っただろうか、時系列が分らない。けれどおよそ一年半。
当スペースのこけら落として開催された前回展「昨日はどこへいった。」ののち、この場で開催された幾つもの展覧会。それらの記録も追加収録した今 回は、この場の立ち上げからクローズまでの時間を包み込んだ完全版。
時をいかに記述するか、視界をいかに切り抜きすくい上げるか、そしてそれらをどのように定着できるか。
記憶は嘘をつく、昨日はどこへいった?
土屋貴哉(土屋貴哉+アタカケンタロウ)